建築は技術だと僕は思っている。しかし肩書きを建築家としたからには、設計したモノがアートになればと願うのは人情だろう。
「技術」はどうすれば「アート」になるのか、そのヒントとなる譬え話がある。一昨年、入間市博物館で方丈庵のプロジェクトを展開したときに、亡くなられた安井清さんと共に、臨機応築の囲いを造る監修をして下さった建築家内田祥哉さんの論考である。
「科学者がコレはできると証明し、技術者はソレを実際につくってみせる。そのつくりかたをいろいろと試みた芸術家によって技術は洗練される」と、こんな粗筋である。
これは日常や既成にそれまでなかったヘンテコなものを差し込もうとする現代的なアートの在り方とは異なり、谷川徹三を気取れば、縄文的原型に対する弥生的原型に近い。僕は建築がアートに近づくのはこの手ではないかと思っている。技術には目的があり、機能や性能が要求される。だからそれを口実に縄文的原型は小手先だけのアートもどきに陥りやすいからだ。まちにはそうした建物が溢れているし、僕もつくってきたという反省がある。
では建築は本当にアートになることができるのだろうか。昨秋のSMFPress vol.6、M.N.さんは、文化芸術振興基本法が制定された現在でも実情はアート氷河期と言われた以前となんら変わっていないことを嘆き、だからこそ状況の打破にSMFは第2
ステージへ向かうのだと、抱負を語っていた。しかし建築家の立場はさらに深刻だ。なにしろその基本法でも、建築は文化や芸術の定義の中にはいないのである。むしろ、新しい建築はそれらの邪魔にならないように造りましょう、とまで言われている。これでは建築文化は化石資源と同じではないか。これから僕たちがつくる建築も、それをアートとして次代に伝える価値あるものにし、その可能性を認めてもらいたい。
イタリアでは憲法に文化の推進と記念物の保護を謳い、韓国では未来に継承される文化遺産として建築を位置づけている。なのにこの国の建築基準法では、土地に定着する工作物のうち屋根および柱か壁を有するもの、それが建築物なのである。
と、こんな愚痴を聞いてもらえるのも「アート井戸端かいぎ」だからこそ。この「かいぎ」、埼玉県立近代美術館などで開催している。僕は建築だが、美術、音楽、文学、舞踏、デザイン、写真、ここに集まる仲間の分野は多彩だ。だから話題も多
岐に亘り面白い。ヘンテコなことをする連中かもしれないが、異分野で理解を深めようと、アート寺子屋なども計画する案外まともな仲間でもある。どうだろう、一度覗きに立ち寄られてみては。
さてこれからは追伸、附録である。
今年度のSMFのテーマは「つながる」だったが、僕にはまちの住宅地をペデストリアンデッキのような街路でつないでみたいという夢がある。
実験集合住宅で立体町家を造るプロジェクトに参加したことがあるが、その立体街路を戸建ての住宅地に移し、平面的な集住体を考えてみたいのだ。かつての路地は基準法で車の通り道に召し上げられてしまったので、しっかりした構造の立体街路をインフラとして造り、階上に路地を取り戻し、そこで町家にあった軒先の縁台のような機能を再現する。上からのアクセスは住まいの間取りを豊富にし、地震でも立体街路が支えとなって、道路へ家屋が倒壊するのを防ぐ。と、いいことずくめなので、いつか井戸端に晒してみたい思いつきである。(K.M.)
2010年度はうらわ美術館が開館10周年、2011年度は川口市のアトリアが5周年で、それぞれ意欲的な記念展や活動が行われました。2012年度は、MOMASが30周年、川越市立美術館が10周年を迎えます。
MOMASでは 4月の草間彌生展にはじまり、ウルトラマン・アート、1968-82展、ベン・シャーン、ポール・デルヴォーと強力なラインアップで30周年を祝う予定です。MOMASコレクションでも、第2~3期を中心にコレクションのエッセンスを総ざらいし、MOMASファンのみなさんにも参加していただいてご一緒に楽しむ企画を計画中、MOMASの扉でもスペシャルがあります。どうぞご贔屓に何度も遊びに来てください。
川越では、コレクション展、タッチアート展をはじめ、喜多院「職人尽絵」や仙波東照宮「三十六歌仙額」を展示する小江戸川越江戸絵画展など、川越の至宝を紹介する展覧会が計画されているそうです。あわせて美術館の市民ギャラリーを使って市民とともに10周年を祝うイベントの企画も構想中とか。晩秋の川越も見逃せませんね。
入間市のアリットは2014年度の開館20周年に向けて、さらに充実蓄積を図る年でしょうか。
うらわ美術館やアトリアでも、地域とミュージアムを結ぶ企画が出されています。今年もミュージアムを拠点に、身近な場所でアートを楽しむ機会をたくさん創っていきたいですね。(M.N.)