絵画や建築図面を中心とした展示は、SMFで行ってきたこれまでのプログラム(インスタレーションやワークショップ)とは異なる性質のものであり、また、「建築・音楽・ダンスのコラボレーション展示」との間に仕切壁を設けずに展示を行う計画としたので、上手くフィットしてくれるかどうか、実際に設営を行うまで心配でした。仕切壁を無くしたのは、SMFの活動にも通じる、立原道造の「芸術家コロニイ」の構想を感じられるような会場構成を目指したからです。
ダンボールでつくられた小さな空間群をたくさんの家とみたてて、そこで繰り広げられるダンスや音楽、壁面の絵画によって「芸術家コロニイ」が感じられることを意図していました。
それを実現できたかどうかは分からないのですが、少なくとも、立原道造の椅子や建築模型といった立体物があったことで、ダンボールによる空間群へと接続させることはできたように思います。特に、「椅子」という身体を思わせるものを、余白をもって空間の中央に置いたことで、立原道造の絵画で囲まれたスペースは、ダンボールによる空間群への「前庭」のような空間となりました。 (S.S.)
9月より全5回で行われたダンスワークショップ、「かいじゅう街に現れる!」の参加者は、小学校に入る前の子から高校生まで、個性溢れる素晴らしい子供達。「ダンボールで作る秘密基地」に魅せられてか、 多くの元気な子供達が集まってくれました。
ワークショップは毎回準備体操から始まります。講師を務めたダンスグループ「転々」のオリジナル体操です。音楽に合わせ楽しみながら体操します。少し体がほぐれたら、作品の創作&練習です。作品の中には子供が自分達で創作したダンスシーンもあり、そこにはそれぞれが考えたオリジナル怪獣が登場します。組体操のように逆立ちをしながら歩いたり、尻尾を持って繋がったり、回しながらリフトをしたり…子供達の自由な発想はどんどんと膨らみ、作品の見どころとなりました。
また、ダンボールの秘密基地を壊すシーンでは、本物の恐竜さながら豪快に潰したり破ったり。 ぺしゃんこに潰れたダンボールの中でのダンスも、なかなか見応えのある面白い景色でした。
今回、一番強く感じた事は、子供達はものづくりの天才であるという事。これからも自由ににその芽を伸ばしていってくれたら…と思います。(H.M.)
作家は一般的には自分のテーマと作風を追求します。今回のように詩にインスピレーションを得て作品を制作というのは応用編、変化球でしょう。しかし、音楽は詩とともにあることは珍しくないし、詩画集、詩写真なども巷では見られます。
詩は言葉の彫刻です。そこには小説などと異なる抽象性があり、他の領域と結ぶ場合、その挿絵や解説のような隷従関係に陥る怖れがあります。それを避けるには、相手と対峙する理解とスタンスが必要でそれがまずおもしろくもあり、なかなか大変でもありました。
鑑賞する側からみると、詩の視覚化という絵手紙のような素直な見方と、美術作家がいかに詩人と向き合ったかを見極める裁判官のような見方があるでしょう。 その意味においては美術作家は被告席に立たされています。窃盗でも無視でもなく、辱めることなく、互いに尊重し互したという正統性を主張しなければならないのです。
美術家は試されたのです。この展示のもう一つの面白さと困難さはここにあると痛切に感じました。
グルグルハウス 白濱雅也
生憎の雨模様でしたが10月28日「きたうらワン」は、デビューしました。
きたうらワンとは、2011年に行われた「北浦和西口銀座商店街アート化計画」の中から生まれた商店街のマスコットキャラクターです。今回、商店街の方々の声に応えるかたちでワークショップが始動しました。
具体的には埼玉大学の学生が作った「きたうらワン」のぬいぐるみといっしょにカメラを持って商店街のステキを探しに行き、画像に収めて互いに紹介し合う活動です。
商店街には様々なステキがあります。街並みや、店主さん、そして商品など、人に紹介したくなれば何でもアリとしたところ、いろいろな画像が届きました。商品棚に紛れ込んでいたり、お店の人とおしゃべりしたりなど、自然と街に溶け込む「きたうらワン」がいる一方、犬ならでは?の視点で得意げに路地のタイルを紹介する「きたうらワン」もいました。
活動を終えて感じることは「きたうらワン」というキャラクターが意外と認知されているということでした。これから街の人々が「きたうらワン」にどんな物語を与えてくれるのかがとても楽しみです。(S.I.)