風のアトリエ — 風車制作工房
「アートの風」のシンボルとして大活躍した色とりどりの風車、直径30cmが標準サイズの堂々たるものですが、紙製の簡易なものと異なり、塩ビのシートの両面にカッティングシートを貼りあわせた3層構造になっています。軸木もアルミパイプで軽くて丈夫、濡れてもOK、押されて曲がっても霧吹きをしてドライヤーを当てれば元のかたちに戻るすぐれもの、美術家の根岸和弘さんが試行を重ねて案出した作品です。
7月上旬から千の風車を目標に協力してくださるアーティストやボランティア、学生に参加を呼びかけ、埼玉県立近代美術館の創作室を開放して〈風のアトリエ〉を設けました。5人、10人と〈風をはこぶ風車の夢〉を共有してくださる方が集まり、日曜日の朝から夕方まで、根岸さんの指導で風車づくりの日々が始まりました。飛び入りの親子連れが仲間に加わった日もありました。準備されたパーツから好みのカッティングシートを選んで組み立てていきます。用意されたカッティングシートは70種以上、ここから最高で8種類を選びますから、何百万通りもの多種多様で個性的な風車が出来るわけです。パーツの仕込み時間も含めれば一本の風車の制作に要する作業時間は平均1〜2時間でしょうか。
蔵の街・川越の白壁にあわせて白に統一した風車づくりを行ったり、端材のシートを無駄なく使って透過性のある風車をつくったり、高低や大きさを変えてヴァリエーションをもたせたりと、各会場のインスタレーションプランにあわせて、根岸さんの指揮で制作が続いていきます。石畳など軸木を直接挿すことができない場所への設置には、黒く塗ったベニヤ板のスタンドを取り付けて備えます。このスタンドは大宮光陵高校の生徒たちが共同で制作してくれたものです。こうして今日は50本、今日は70本と制作が続きました。
この〈風のアトリエ〉とあわせて、鳩山、川越、新座、大宮、八王子など各所で支援してくださる方々が制作を進めてくださっていました。輸送・保管用に用意した大型段ボールもしだいに埋まり倉庫にうず高く積まれていきます。7月650本からはじまった風車の数は9月の鳩山で既におよそ1000本に達し、11月のフィナーレではたくさんの方々の思いと時間の結晶である1600本の風車が北浦和公園に立ち並びました。
下見からプランの作成・打合せ・確認・設営・撤収と、各会場に何度も何度も足を運び、それぞれの場所が持つ空間的・風土的特性やプロジェクト全体の流れをふまえて、それぞれに特色のある素晴らしいインスタレーションを考案し指揮してくださった根岸和弘さん。制作準備の傍ら、風のアトリエや他の場所での何十回にも及ぶ制作指導、果てはウェイトとなる石の採集と洗浄まで、ほとんど休む間もない半年間であったに違いありません。
根岸さんの物静かな痩身に秘められた作品づくり対する限りない情熱と誠実さを敏感に感じ取ったからこそ、のべ500人を超える方々が手弁当で参加し、このプロジェクトを共有して大成功へと導いてくださったのです。自立した個から発する〈アートの風〉が共有され増殖してもうひとつの大きな未知の風景を切り拓いていくというアートの力を、膨大な数の風車が立ち並んだ夢のような風景を通してそれぞれに感じることができたとすれば、それがこのプロジェクトに関わったすべての方々への最高の贈り物なのです。
風をはこぶ—風車(かざぐるま)の物語のはじまり
2007年12月CAF.ネビュラ展を見にきたアーティスト根岸和弘さんが「ニュージーランド在住中にこんな仕事もしたのですよ。」と遠慮がちにビデオテープを私に手渡してくれました。根岸さんは30年来続いている現代美術展開催の団体、CAF.N協会の古くからのメンバーでした。6、7年前にニュージーランドに行き、現地で活発な制作活動をされていました。私は帰宅後、早速受け取ったビデオを見ました。なんとニュージーランドの美しい公園の芝生とせせらぎのなかに色とりどり、大小様々の風車が休むことなく回り続けておりました。何とも美しい「風の物語」でした。
そんな頃、埼玉県立美術館から文化庁芸術拠点形成事業の申請の「Link!ミュージアムからアートの風を!!」の一環にという話がもちあがり、主要なプロジェクトの一つに風車プロジェクトが企画されました。
さてこの企画をどのように進めるか、根岸氏の意向を聞きながら、中村誠氏を中心にCAF.Nのメンバー達で制作の手順、保管場所などの基本案を具体化することになりました。美術館内の創作室が日曜日になると「風のアトリエ」という洒落た工房となり次々に一般のボランティアの方々、大学生、高校生、アーティストたちが集まり黙々と風車制作に携わる様になりました。根岸氏の指導で、配色を考え、形作っていきながら、それぞれの方が、風に舞い、風を運び、何色もの色を風に乗せる美しい姿を思い描いたことでしょう。7月から初めて11月までに1600本もの風車が出来上がりました。
〈風をはこぶ—風車(かざぐるま)プロジェクト〉を終えて
風車(かざぐるま)の魅力は、平面から素材の持つ弾力を生かして一気に立体化するシンプルな構造と風や光を受けさまざまに変化する色や風の動きを見せてくれる点にあります。これを美術の視点からとらえ、初めてインスタレーションやワークショップとして試みたのは、2001年から2006年のニュージーランド滞在中でした。ニュージーランドの自然や風光に魅せられ、また、日本の伝統美も表現したいと考えていました。
帰国して当プロジェクトに参加が決まり、まず考えたことは、風車は日本ではあまりにもポピュラーなので印象が弱いのではないか、自己表現(インスタレーション)と参加型とどう折合いをつけるか、空間の大きさと数・雨に耐える素材、これらを解決しつつ、プロジェクトの目的である「連携」はどう展開すれば深められるかでした。
表現は「自然界の空間をわたる風」、風そのものに重きを置く方法もありますが、人工物に囲まれ限定された空間で、増殖しつつ連携の輪を広げる・人と人のコミュニケーションを重視することに主眼を置く当プロジェクトにとっては、抽象的なものより具体的で明快なほうが良いと判断しました。そこで、風車をランダムに設置するより、線状に設置する方法を優先し、デザインは現地の特色や第一印象を大切にし、そのイメージを図面に起こし数量化しました。羽根の色は1個につき最高8色で色数70種類以上使用し、明るく広がりが感じられる親しみ易い配色としました。
制作は「風のアトリエ」を中心に個人宅を含む8ケ所以上で行われ、そこで生まれた一体感は私にとって大きな励みになりました。ワークショップの風車は、対象が子どもたちなので作りやすく楽しいものとするために、ドローイングと4本の切り込みだけで組み立てる仕組みにしました。出来上がりを待っていましたとばかり、歓声をあげながら走りだす子どもたち。こんな嬉しそうな姿はどこの国の子も同じだと思いました。
フィナーレとなった浦和会場では、設置が終わりエントランスホールで一休みしていた時、突然のいい風で数百本もの風車が一斉に回り出しました。「そうだ
! 集合写真を撮ろう」誰かの一声。当プロジェクトのすべてが集約された瞬間で、そしてその感動は徐々に達成感へと変わっていったのでした。風車は人の心をなごませ、気持ちを高揚させる力を秘めていると思います。それは風自体が持っているパワーと、人が風と深く関ってきた歴史、不思議な動きをする風を受け微妙に変化する風車が五感に心地よく響くからだと思います。
準備期間を含めると約8ヶ月に及ぶこのプロジェクトが順調に進行し成果をあげることが出来たのは、多くのスタッフやボランテイアの力の結集によるもので、近代美術館の長い間の堅実な積み重ねと強力なサポートによるものと思っております。そしてこの機会を与えてくださった皆様に対し深く感謝申しあげます。
風車のプロジェクトに参加して—コア・スタッフの声
僕は7月から11月までの5会場、計6回の《アート竜巻フェスタ》にアーティスト・スタッフとして参加しました。全体的には天気に恵まれたとは言い難く、晴れの日、曇りの日、雨の日、風のない日、いろんな日がありました。そんな中、設置には中学生、高校生、大学生など多くのボランティアの人たちが手伝ってくれました。(小さな子供たちも風車を挿したり、片づけたり)また、ダンス、田楽、音楽と風車のコラボレーションが素敵な空間を生み出しました。緑やこげ茶色、白っぽいイエローオーカーなどの地面にカラフルな原色の風車が映えました。
多くのボランティアの人たちによって風車は作られ、みんなの協力でフェスティバルが成り立ちました。僕がこのイベントで最も良かったと思う事は、多くのボランティアの人たち、スタッフたち、演技者たちに出会えたという事です。根岸先生のおかげで皆さんに会えました。どうもありがとうございました。
いつも忙しがってる人がコアメンバーなんてよくやるね。」とは知人の言葉。まあ そういう見方もあるでしょう。でも数百本の風車が風を受けて一斉に回っている所を想像すればやってみようという気になるし、何より根岸先生の企画の手助けになるのならばと、参加することにしました。風車は先生の工夫で風雨に負けないように改良されていました。それはボランティアの方々の手により作られ設置されました。其の数1600本あまり。お疲れ様でした。
プロジェクトの中で印象に残った事は天候に一喜一憂する先生の表情、魅せられたのはダンサーのひたむきな踊り、感心したのは学生ボランティアの真面目さ、頭が下がる思いだったのは運営にたずさわる中村さんをはじめとするスタッフの方々の努力です。本当に皆さんご苦労様でした。先日知人に言いました。「プロジェクト終わったよ。凄く面白かったよ。」と…。